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イペリットとルイサイト
[手記]
 藤本氏の手記は50余年も調査してまとめられたものであり、平成3年2月21日となっている。本人から諒承も得ているのと、私の体の異状と同一の症状が書かれたのを二つほど書き足す事にした。

 日本は昭和2年に毒ガス研究を開始、昭和4年に製造を開始している。昭和12年7月27日、中国(当時は支那と言った)盧溝橋事変に最初に使用したとなっている。

 イペリットとルイサイトの2つのことを書く。イペリットは「死の露」とも言われ、毒性は強烈で油に溶けやすい性質で、人体に付着すれば、皮膚に赤い点々が生じ、火傷のような水泡ができ、水泡が大きくなって破裂すればびらんによって潰瘍となって治療がたいへん難しく、相当の時間を要する。戦闘能力が著しく減退するばかりでなく、復帰は不可能となる。ルイサイトはイペリットよりも毒性が強く、びらん性毒ガスである。「黄色」と言われた軍隊用語の通り、毒ガス液体を吸い込めば呼吸器の障害を起こして死に至る。その致死の限度は0.005ppmでイペリットの20倍と言われた。時には足が棒のようにかたくなって歩行できなくなることもある。ルイサイトは大野久島A三工室で製造されて 日産3トンの生産能力を持ち、二重金属鉛張りのボンベに入れて貯蔵した。この2つだけでも 私が苦しんで来た症状と同一なので書かせてもらった。
 
 私は数年前から就寝中に足の痛みに目が覚めて、起きて痛み止めの薬を塗ったり、暫く自分でマッサージをして痛みが軽くなるとまた寝る事を繰り返している。苦しくなると早く死にたいと考えることもある。でも、毒ガスのことをありのまま書き残す、語り残すことが先に他界した先輩や同年兵への供養の一つにでもなればと、私に残された余日の責務と考えている。軍の幹部将校の命令といいながらも自分も参加させられたこと。生きている間は思い出したくない事がいくらもあるが、今のところ、語ろうか、書こうか迷っている現在なのだ。

 藤本氏の手記は、本にするまでに50余年も調べているので、私にとって本当に貴重な一冊となった。私は現役で短期教育修了後に中国(当時支那)の戦地に出征、予備役で樺太敷香の部隊。3度目は南の小島で玉砕組と心して出征したが、旭川で連隊本部勤務と憲兵隊にも勤務した。旭川から苫小牧に移動して本土決戦幹部教育を受けて、修了後は北部30111部隊第3中隊藤原又蔵中隊に所属して敗戦となった。

 長い軍隊生活で日本陸軍の良いところ間違っているところ、見たり聞かされた多くの事等、書きたい事が沢山ある。戦争は国と国との人類の大きな悲惨である。格差の差別は人間と人間との悲劇であって、得るものは一つもない。勝っても負けても損の分け合いだけと思う。しかもその裏で「得」をしている一国の権力者の存在を忘れてはならない。

 現在は核兵器の開発を各国が競っている時代ではない。人間が製造した物質によって、地球上の人間をはじめ 動植物迄が全滅するだろうと気がついてからでは遅過ぎると思う。各国が一日も早くこの地球上から戦争をなくして、大自然の住み良い地球を子孫に残す事に努力するのが現在の地球上で一番利口だという人間の大人の責務の一つと考えるが、私一人のボケだろうか。各国が軍備に投ずる大金を、人間が安心して住める国づくり、そして各国がそのおカネを弱者福祉に使用すれば、国民の幸福は間違いないと考えるが、どうでしょうか。

 違う部隊でもよいので、毒ガス関係の兵隊であった人がこの作品を読まれた場合には お手数でも連絡を戴きたい。


[手記]

Edited by じゅんか 2009-06-02 15:19:32
Last Modified 2009-06-02 15:19:32

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