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はじめに
[コラム]
私が咲間さんに会ったのは、2005年の夏。
梅の木の下に座っていた姿をなぜだか今でもはっきりと覚えています。
そのころ 私は 北海道に来て間がなく 近所の人のこともあまりわかっていませんでした。

あれから もう4年。
咲間さんは わたしの隣人である。
大正7年生まれで91歳。けれども それより幾分若く見えます。

ひょんなことから 話すようになり、この冬はたびたび咲間家におじゃましました。
咲間さんは足が 不自由です。
杖なしで歩くことはできません。

咲間さんは第2次大戦中に兵隊に行っていた、というから
私はてっきり 戦争中に負傷したのだと思っていました。

でも、そうではありません。
咲間さんは 第2次大戦中、日本で最初の毒ガス部隊に配属されました。
そして その訓練中に 旧日本軍が秘密裏に使用していた毒ガス「イペリット」と「ルイサイト」を塗布されたらしいのです。
「イペリット」「ルイサイト」いずれも猛毒のガスだといいます。
ゴム手袋だって通してしまうし、蒸気を吸っただけでも 肺がただれて死んでしまうくらいの猛毒だと。
それを塗られた?
敵でなく味方に?

どう言うことだか よくわかりませんでした。
私は咲間さんの話をもっと聞きたい、と思いました。

咲間さんは80歳になるまで黙っていました。
毒ガスの使用は 国際法違反でした。
従って 当時の軍隊では 毒ガスについて
「話してはならない、書くことは決してしてはならない」と命令されたそうです。
咲間さんは それを守り、家族にも黙っていたといいます。

一方で 毒ガスを塗られた足は年月とともにひどく痛みだし
家族からも隠れて  医者に通う日が続きました。
ついには歩行に困難を来すようになってしまいます。

80歳になったとき、咲間さんは  自分の毒ガス体験についての投稿記事を書きました。
それは思わぬ反響を呼び、遠く本州のあちこちから 訪ねてくる人がいたそうです。

それで より明らかになりました。
イペリットやルイサイトの後遺症は 決して直りません。
そして、咲間さんが苦しんでやまなかった足の痛みは やはり毒ガスの影響だと思われます。



ここからは 私が書くのはおかしいですね...。
咲間さん自身が平成19年に書いた手記を 別ページにアップすることにします。

毒ガスの話を聞いて 私はショックでした。
なんでかわからないけど すごくショックでした。

憑かれたように ネット上で検索して 旧日本軍の毒ガス使用のこと、
元兵士の人が書いた大戦中のできごとを読み続けました。
なんだか 気になって 眠れませんでした。


私は第2次ベビーブーマーで
新興住宅地の 核家族で育ちました。

したがって 戦争のころのできごと、というのは
「本で読んだこと」「テレビで見たこと」「学校でならったこと」しか知りません。

隣に住んでいる人から 「直接実体験を聞く」のは初めてでした。

いかにショックを受けたとはいえ、咲間さんに質問を投げずにはいられない私自身の中に「野次馬根性」を感じて恥ずかしくなる事もあります。

しかし どうも気になりました。

そして 私はまもなく 転居せねばならないし 咲間さんからの詳しい話を聞くチャンスは激減します。

その前に 咲間さん自身の体験と思いを詳しく聞いてもみたかったし
また、私自身の感想も書いてみたい....
そして web上で公開したい、という衝動を抑えることができず 咲間さんに諒承を得ました。

はじめ 私は咲間さんのお話を書き起こすつもりでいたのだけれど 咲間さん自身がすでに書きためておられた原稿がありました。
 「手記」は咲間さん自身の原稿をそのまま掲載しています。(原文は長文なので 「小見出し」だけ私がつけています)


[コラム]

Edited by じゅんか 2009-06-01 00:01:38
Last Modified 2019-03-31 17:12:44

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