[手記]
戦後の社会で生活して来た人々には 信じてもらえない軍隊でした。古参兵達が 初年兵の目の前で、「初年兵が絶対にやってはいけない事」を平気でやっている...。上官が見ていても一言も叱らないのであった。例えば軍馬に専用に使用する水槽の余った水で古参兵が洗顔したり洗濯をしていても叱責がない。初年兵がやったら叱責と制裁を受けるのであった。
初年兵はそこでは 馬の世話で汚れた手も洗うことができない。
兵舎の入り口の横にある水道で、汚れたものを洗って自分達の部屋に持って入り、洗った軍靴も寝台の下に置くようになっていた。洗った軍手は乾燥するように下げておくように物品に依っておく場所が決まっていた。
軍馬は生きた兵器と言って 人間には見えない菊のご紋章が付いている、と言われた。兵卒は一銭五厘のハガキ一枚でどうにでもなる消耗品と言われて、馬が暴れるのを手綱でたたいて静止させても制裁を受けるのであった。
「天皇陛下」又は「菊のご紋章」と言う言葉を聞いた時には静止して不動の姿勢(直立不動)を取るのであった。
初年兵は 兵舎で一番下級なので、廊下又は外で歩いても逢う人ごとに敬礼をするのが決まっていた。欠礼でもしたらビンタ、(たたく、なぐる)その他の制裁を受けるのであった。将校に欠礼したりしたら 古参兵に大きな制裁を受ける。
軍馬の運動で、途中で馬の蹄鉄が馬の足から外れてしまった時には 古参兵は このような時の使用が目的で馬用のワラズ(わらじ)を各自が一個持参しているので、それを馬の足にはかせて乗馬して静かに帰営する。
初年兵は(馬に)ワラズ(わらじ)をはかせても、馬の背にある乗鞍を自分が背負って 手綱で馬をひいて徒歩で帰る。その後で 理由書を提出しないと公務兵に蹄鉄を打ってもらえないのであった。
このような事は 軍人全員が体験するものと考えた「時代の教育」と思っていたので耐えることができた。
軍隊にあった制裁は書き出したら数枚になってしまう。
●ビンタ(たたく、なぐる)です。
軽いので 軍手をはいて左右2回であった。その相手によって違っていた。10回くらいが普通であった。口の中が切れてしまい、血が出て 2日間は食事をかむ事ができないので水かお茶で、カマないで飲み込んで訓練に出るのであった。
イタいとか 食事ができないとか言って衛生兵に話して練兵休の許可で休む事もできる。でも 成績がガタ落ちとなる。
●軍靴は朝、昼、夕と3回洗うのである。夕食後に検査があって、少しでも汚物が付着していたらその汚物をなめて掃除をするのであった。馬の兵科は一日に3回馬の世話があるので 馬糞が付いている時もあって 馬の事を知らない都会出身者は大変であったと思う。
●このことをやったのはお前だろうと言われたら、「違います」とか理由を言うと「初年兵なのに、何百杯も軍隊の飯を食ったような事を語るな」と言って ビンタとか制裁が大きくなるのであった。
●各部屋には同じ場所に直径30センチくらいの丸い柱が一本立っていた。建物の補強なのか何の為か誰も先輩兵も分からないと言っていた。
「蝉の罰」と言って、この柱に登って蝉の泣きまねをする。
一番軽いので50センチ、程度によって高くなるのであった。
部屋に寝台10数台が一列になってすき間もなく置いてマットが敷いてあった。その下に這ってウグイスの泣きまねをして端から端迄で通るのであった。
ウグイスの罰と言う。
●腰に薬缶(やかん)をさげる。
軍服の上衣の腰の部分に(剣つり)と言うのが付いていた。
帯剣をしない時にはボタンで止めてある。
それが外れていたら、その所に4リットル入るヤカンを下げられる。
相手に依って水の量が多くなるのであった。一番軽いのでカラッポのヤカンであった。
○○二等兵は剣つりボタンを外していたのでヤカンを下げられました。「お願いですから古参兵殿とって下さいと言って各部屋を歩く。どの部屋も「次の部屋へ行け」と言う。最後に自分の班長室か分隊長室へ行ってとってもらう。
水の量によって大変であったと思う。
各連隊の敷地内に2カ所か3カ所、誰もが嫌がる場所があった。
教官に説明を受けた時には 真夜中に一人で歩?当番の時に どうしても その場所を巡察して通る時に、急いで見て歩いたのであった。
3週間経過して 査閲(連隊長)が終わった数日後に、外出日に外出しないで便りを書いていた時に、万年一等兵と言われる 古参一等兵が来て、「咲間お前にこれから珍しい所を案内するから 俺と一緒に行こう」との事であった。
部屋に3名ほど古参兵がいたので様子を見ていたら、「誰かれ 行く事の出来ない場所だと思うから行って来い、後々で参考になると思うから」と言われて私は同行した。
そこは天気の悪い日に馬事教育を受ける大きな建物だった。
入隊当日の上官の説明では、ある初年兵で、徒歩訓練が中々習得できなかった兵が、この大きな建物の中で首つりをして死んだ。その亡霊が出て、連日連夜屋根の上で練習しているんだ...と案内の上官の説明であった。今日も同じく カタンコトンと同じに間を置いて音がしていた。
一等兵が中に入って「中をよく見ろ」と言うので天井を見ると、換気口に一カ所おきに小さい板が下がっていた。それがゆれて当たるので音がしているのであった。
一等兵は 「お前は今回の初年兵で一番に幸せなのだ」と言って笑っていた。
いつ、誰が何のために作ったかは知っている先輩がいないと語っていた。
私の現役の連隊には2カ所あった。
この時にも、軍隊と言う所は本当に違った社会だと思った。
[手記]
Edited by じゅんか 2009-10-21 21:56:24
Last Modified 2009-10-21 22:08:11