[手記]
決戦訓昭和20年4月21日公布
一、皇軍将兵ハ神勅ヲ奉戴シテ愈々聖諭ノ遵守ニ邁進スベシ。
聖諭ノ遵守ハ皇国軍人ノ生命ナリ、神洲不滅ノ信念に徹シテ日夜聖諭を奉誦シテ、之ガ服行ニ精魂ヲ尽クスベシ必勝ノ根本茲ニ存ス。
二、皇軍将兵ハ皇土ヲ死守スベシ。
皇土ハ天皇ニ在リマシ、神霊鎮マリシ給フ地ナリ、外夷ノ侵襲ヲ撃破シ、倒ルルモ、尚、魂魄ヲ止メテ守護スベシ。
三、皇軍将兵、待ツアルヲ恃ムベシ。
備アル者必ズ勝ツ必死訓練ヲ積ミ不抜ノ城塞ヲ築キ、闘魂ヲ以テ滅敵必勝ノ備ヲ完ウスベシ。
四、皇軍将兵ハ体当タリノ精神ニ徹スベシ。
悠久ノ大義ニ生クルハ、皇国軍人ノ伝統ナリ、挙軍体当タリ精神ニ徹シ、必死敢闘皇土ヲ侵犯スル者コトゴトク之を殺戮シテ一人ノ生還モナカラムベシ。
五、皇軍将兵ハ一億戦友ノ先駆タルベシ。
一億同胞ハ 是レ皇国護持ノ戦友ナリ、至厳ナル軍紀ノ下、戦友ノ情誼ニ生キ皇軍ノ真姿ヲ顕シテ率先護国ノ退任ヲ完ウスベシ。
右ノ五条ハ皇軍将兵ハ須ク是ヲ恪守シテ速ニ仇敵ヲ撃破シテ ※宸襟ヲ安ジ奉ルベシ。
※宸襟(天皇のまごころ)
注)....決戦訓は この時の教育の際使われたらしい。内容は「体当たりして死ね」というのに近いですね....。
咲間さん以下 教育を受けていた兵は 「この決戦訓は どの上層部の誰が考えたものなのか?」と質問されたそうですが、何も答えてもらえなかったそうです。
時の陸軍大臣 阿南惟幾(あなみ これちか)の名前で公布されたものですが、原案は誰が作ったのでしょうね?ご存知の方は教えて下さい。
ちなみに 阿南陸軍大臣は 終戦の決まった8/15日の朝、玉音放送を聞く前に 自決しています。現職の大臣の自殺は 史上初めてでした。
●これ以前に公布された戦陣訓の方がより有名です。
「戦陣訓」でググって見て下さい。
色々考えさせられます。
[手記]
Edited by じゅんか 2009-10-18 22:53:27
Last Modified 2009-10-19 19:43:01