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敢行できなかった本土決戦(3)
[手記]
教育修了日は早朝から全道主要地に米軍の大空襲があり、室蘭が艦砲射撃を受けて大きな被害があり、苫小牧の被害も大きかった。

 汽車に乗ったのが 午後2時を過ぎていた。発車したのが夜になってからで、登別駅では2時間余り停車した。室蘭での砲撃の中をどうにか汽車は通過して伊達駅に着いたのが翌朝3時近かったと記憶がある。

伯母宅で空襲の事を聞きながら休んで苫小牧で依頼を受けた本土決戦第3中隊の隊員の召集令状を伊達町分を役場兵事課に渡して自宅へ向かった。
奥地にと荷物をリヤカー等に積んで避難する住民が老人と子どもだけであった姿を見た。中国で見て来た避難民達と同じであった。手伝いながら何とも言いようのない寂しい気持ちで我が家に着いたが、母は竹槍訓練に出ていて不在であった。私はすぐに自転車で小学校に行った。教官に 昨日と今日の空襲と室蘭の艦砲射撃と本土決戦の事を詳しく話した。でも、信じてもらえなかった。

「室蘭の砲音は日本の高射砲隊が空襲中の米軍機を射撃しているのだ」と教官の軍曹殿は言うのであった。「それでは陣屋町付近まで行ってみましょう。はっきりと分かります」と私が言うと、「本当に真実であるならば 今日は中止する」とやっと信じてもらった。私は本土決戦の事を詳しく皆で話して一緒に帰った。

 軍曹殿も戦争体験者の一人なのである。占領した市や町の警備部隊と第一線出勤ばかりで過ごした兵とでは、こんなに違うのか...。敵の砲音と日本の砲音の別なのが分からないで 強く私を叱責したのであった。この軍曹殿の言葉は 旭川の連隊での初年兵への叱責よりもひどかった。今でも記憶に残っている。

後日に分かったことだが、この頃に室蘭の軍需工場では最大射高2万メートルの日本軍最大の15センチ高射砲の量産が始まったばかりであったと言う。
空襲の事は別にして 決戦訓の事を書く。


[手記]

Edited by じゅんか 2009-10-18 22:38:44
Last Modified 2009-10-18 22:43:48

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