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敢行できなかった本土決戦(2)
[手記]
 7月上旬に集合した。市町村の人口数に依って人員が割当になってた事も分かった。教官は東京中野兵学校からの派遣将校早川利夫大尉殿であった。
普通であれば下士官一名の随行となっているのに、よく考えると兵員も不足であったのだと思う。名簿に依って人員を確認してから訓示の一言。
「我が大日本帝国は一億全国民が玉砕精神を以てこの難局を打破して、本土決戦を敢行して勝利を得る戦法であり、現在各地で扶助しに竹槍訓練を行っているのも計画戦法の一つでもある。真面目に教育を受けて欲しい」と強い言葉であった。

 今まであった戦法で今回改正になった戦法と新しい戦法を黒板に書くからノートに書き写すようにとの事で始まった。45分経過すると15分休むのであった。
 数日も化学兵器の時代なのにこんな戦法では子どもの戦争遊びでもないのに、と思うのは私一人ではなかった。
 戦地体験した下士官は 次から次にと質問が多くなった。初めての下士官は 真面目であった。

戦法の一つを参考に書く事にする。
「今、苫小牧の沖に米艦隊が停泊中である。お前達は爆弾2個で撃沈の命令を受けた。どうする?」と教官が言うので、大半が「泳いで行く」と答えた。
教官は 「姿が見えるから駄目だ。長い竹の棒を用意して各フシに穴を作り、空気の流通を良くして、これで呼吸をして海底を歩行して撃沈する、新しい戦法だ」という説明であった。
「海の深さもわからないのに、」と言うと、「自分は兵学校で階級が上の将校の教育を受けて、今皆を教育しているのだから」「上官の命令は天皇の命令と心得よとあるのだから、決められた日数は静かに教育を受けて欲しい」と教官は言うのであった。
 休み時間に数人集まっては、「どこの上層部で誰が考えた新戦法なんだろう」と語り合うのであった。

 私の母も竹槍訓練を受けた一人であったが、当時の教官は「3人で米兵を一人殺せば日本は勝つのだ」と言う。また、「米国と英国は鬼畜だ」と言うので、皆が「負けるものか」と強気で教育を受けたと語っていた。
 当時の教育は、どのようにして国民を信じさせたのか....
軍部と政界の他に権力者が存在したと考え、今でも同じだと思っている一人でもある。

 戦争体験者の大半は「誰が考えた新しい戦法かもわからないが、一日も早く講和すべきだと思う。又、どう考えても本土決戦敢行では犬死にだ」と語り合った。


[手記]

Edited by じゅんか 2009-10-18 22:36:21
Last Modified 2009-10-18 22:36:21

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