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敢行できなかった本土決戦(1)
[手記]
 昭和20年1月25日に旭川の各連隊から憲兵隊に転属になった6名が6月11日に本部室に呼ばれた。6名は6月12日召集解除の処、即日召集に依り、生家に帰り、北部30111部隊からの指令を待つべしであった。6名は「今度は南の小島で玉砕兵か?」などと語り合った。
 兵舎内でも本土決戦の事が話になっていたのであった。13日に6名は軍服借用で除隊した。家族はまたも「援農でしょう」と信じなかった。当時は農家出身兵は一年に2回一週間の援農休暇が許可されるのであった。事情を詳しく語り、北部30111部隊から行く処が連絡が来る事を言うと、兄が「そう言えば帯剣していないもなあ」と言うのであった。皆がゆっくり休めと言ってくれた。暫く逢っていない友達と数日を過ごした。
 6月下旬に北部30111部隊から令状が届いた。終戦日に上層部からの命令で大半は焼却してしまったので確信のないところは上旬下旬と書く事にする。
 
 説明書を読んで驚いたのであった。
 私服着用で、市町村役場から各自食糧配給証明書および生活に必要なものは持参すべしとあった。
 後日に役場に出向いて詳しい事情が分かり、兵器をはじめ各物資が不足どころか全くない現状であった。軍隊でも語り合ってはいたが、こんな状態でどうなるんだと思うのであった。

 今回の召集は本土決戦幹部要員としての教育であった。場所は苫小牧市高等女学校であった。伊達町からは佐藤 充君、伊東 勇太郎君、と私との3名であった。伊東君は2年先輩兵で現役兵を終えて中学校の教官であり、召集は今回が初めてであった。佐藤君は現役とで3回目、私は現役とで4回目のご奉公であった。伊東君は、とても張り切っていたのが記憶にある。


[手記]

Edited by じゅんか 2009-10-18 22:32:27
Last Modified 2009-10-18 22:32:27

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