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戦争中のお守り(1)
[手記]
出征時と戦地で多くの人から戴いたお守りが31個もあった。今でも時々思い出すので、お守りのことをいくつか書く事にする。昭和13年の徴兵検査で佐藤信君、荒川登君、森 文雄君、三品 勇君、私と5名が甲種合格になった。当時23戸の部落会(現自治会)だった。当時、農事実行組合長であった大塚儀一郎様が、23戸から5名も甲種合格で名誉な事だと、個人で5名を2つの契約会で祀った地神社に呼んで、武運長久の祈願祭を鹿島国足神社の社司に依って祈願して戴いた。そして自宅で5名のお祝いの席迄も催して下さった。大塚様は、この神社にはお守りとしたものがないので、お祭りに参拝者に渡すお札を小さく折ってお守りを作ったからと言って、一個ずつ戴いた。当時の地神社には奥の院があって、社務所と廊下で繋がっていた。当時の5名は記念にと当時の地神社の様子を書き取っておいた。今でも所持している。廊下は低いので大人は中腰で神前に進んで一人ずつ参拝し、薄暗い処にローソクがともり、社司から玉串を受けて参拝祈願したのだった。3つのお札が並んでいた。真ん中に薄い板の地神講御祓のお札があって、地神講御祓の「講」のところに四角な捺印があった。下に、社司、黒野良象謹書。小さい四角の捺印があった。向かって右に鹿島国足神社、左に天照皇太神官と三つのお札が祀られてあった。

 戦地では汗で汚れないようにと自分で作った薄い皮の袋に入れて、地神社のお守りは少し大きかったので一個だけ別にして肌につけていた。宜昌を占領して警備中であった昭和15年7月15日の真夜中のこと、暑さと多くの蚊によって寝付かれず、戦友村越重蔵君と2人で1メートル余りの土手に腰をおろして、十三夜くらいだったと思うが、月明かりの下で古里のことなどを語り合っていた。2人が同時に肩を軽くたたいて「下りろ」と声を出し合ってすべりおりた途端に、銃弾が数メートル先で数発地面にブスッブスッと着弾した。2人はお互いに無事で良かったと確かめ合って地面を見ると、何かが落ちていた。よく見ると 私の地神社のお守りだった。このお守りが2人を助けて下さったのだと抱き合って喜んだ。

 戦時中は召集で、国内でも軍務中は 身につけて過ごした。当時は私の身代わりと信じており、昭和15年10月に除隊後、大塚様に詳しくその時の事を話してお礼を言った。敗戦となり静かに考えると袋とひもの間が弱っており、急な身の動作によって切れて落ちたのだろうと思う事もある。このお守りの事は平成18年にも書いたが、後日の事を考えて詳しく書いた。


[手記]

Edited by じゅんか 2009-06-02 21:45:14
Last Modified 2009-06-30 18:22:39

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