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平八郎さんのおはなし/【再召集を免れた話】
[寄稿]
 日中戦争(祖父は最後まで「支那事変」と云っていました)が泥沼化する前に満期で召集解除となった祖父は、昭和15年10月に北海道に戻り、地元の女満別(現・大空町)に戻って、飛行場の建設に従事するようになりまして。
建設していたのは旧女満別空港か、美幌に建設された、海軍の美幌第一航空基地のどちらかと思われるんですが、資材等の管理に関わる業務をしていたそうです。そこで時折仕事を抜け出しては、同じく飛行場の建設に従事していた朝鮮の人を連れて(当時は女満別界隈に朝鮮の人もわりといたそうです)果物を採って食べたり、網走湖でアサリとか獲ったり、皆の息抜きも兼ねてそんなことをやってたそうです(笑)
 ただ、祖父曰く「自分たちだけでやってると戻ったときに上司から大目玉だから、お土産にもそういうのを持って帰ったらそんなに大きく云われることはなくって。そのうちいつ行くのかと聞いてくるようになったよ(笑)」と。
こういう要領の良さ(?)があったようで、飛行場建設のときも上司には好かれていたらしいのと、朝鮮の人の仕事を纏めている顔役の人(この人も朝鮮の人です)とも仲がかなり良かったこともあってか(戦後も四国まで一緒に遊びに行ったんだとか)、そういうのもあってか、祖父に再召集の話が来たときも、建築現場の上司が「武田が居なくなったら飛行場が作れない」と言ってくれて再召集を免れ、そのまま女満別で終戦を迎えたそうです。

(令和元年5月25日 天野 記)


[寄稿]

Edited by じゅんか 2019-05-27 10:33:28
Last Modified 2019-11-21 08:01:33

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