手記著者/咲間 進さん
大正7年生まれ。北海道在住。昭和14年から一年余り、日本初の毒ガス部隊「野戦瓦斯第13中隊」に配属。中国の戦線で戦う。一度帰国後再度召集され、樺太へ。樺太は 昭和16年8月から昭和18年3月迄出征。再び帰国後、再三の召集。昭和18年8月から旭川9部隊連隊本部に軍務後、憲兵隊に憲兵として軍務。昭和20年6月から本土決戦部隊で軍務中終戦となった。
寄稿/武田平八郎さん
大正6年生まれ。北海道出身の元日本兵。武田さんは咲間さんと同じく、昭和14年から一年余り、日本初の毒ガス部隊「野戦瓦斯第13中隊」に配属。中国の戦線で戦う。その後は郷里に戻り、平成26年死去。武田さんご自身は毒ガス部隊について語ることなく亡くなられましたが、お孫さんが残された日記と軍歴表などをたどり、寄稿をお寄せくださいました。
コラム/みつやじゅんか
昭和46年京都生まれ。
北海道在住のホームページ屋。
『
半農半WEB屋 press328.com』を夫婦で運営中。
日記サイトもあります
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平八郎さんのおはなし/【飯盒をすり替えた話】
ある行軍の休憩時間。
ご飯を炊く水を汲みに飯盒を持って川辺に向かうと…途中、周囲にだれもいない焚火に飯盒がかかっていたそうで。
その時は素通りして、水を汲んで折り返してくるとまだ焚火に飯盒がかかっていて…やっぱりだれもいない。
でもよく見れば、その飯盒はちょうどご飯が炊けている感じだったので、水を入れたばかりの自分の飯盒と挿げ替えて、何食わぬ顔で班の仲間のいる焚火に帰った祖父でした。
「もうご飯炊けたぞ」って言ったら「水くんだばかりでそんな話あるか」と。そりゃぁ言われるわな。
「ヤァ、途中だれも見てるのおらん飯盒が火にかかってて交換してきたんだ。今頃、ご飯がなかなか炊けんと不思議がってるだろうなァ…」って言ったら無用心だなぁってみんなで笑っておったよ、と。
厳しい父だった、と家族からは聞いてますが、こういうひょうきんな部分もあったようです。
(令和元年 5月25日 天野 記)
Edited by じゅんか 2019-05-27 09:52:26
Last Modified 2019-11-21 08:00:26
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