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咲間さんの手記/はじめに
[手記]
毒ガスのこと....咲間さん自身の手記から...

死んでも語るな書くなという厳しい上官の言葉の下で、毒ガスの教育を受けて、日支戦争に毒ガス部隊の一人として参戦したが、上官の命令は天皇の命令であるとの教育だったので、80歳まで、妻や子どもにも語らずに過ごして来た。

 誰か書かないと、日本軍が毒ガスを使用したことはあいまいに終わってしまうと、80歳になった平成9年にどんなお叱りを受けてもよいと決心して 新風書房の『孫たちへの証言集』に書いたのが最初で、会員集に平成11年にも書き、平成17年の北海道新聞社の「戦禍の記憶」にも書いたが、妻と長男に余り詳しく書かないようにとの言葉があったので、毒ガスの一端を書いた。平成18年2月8日の道新に広島県見晴の藤本安馬氏の記事を読んで、一度お逢いして詳しく毒ガスのことを知りたいと考えたが、私は88歳でもあり、歩行も不自由なのでどうしようもないと諦めていたら、平成19年7月末に藤本氏から電話があった。8月9日に伺って、毒ガスを生産させられた一人だが詳しく語り合いたいとのことで、逢うことが出来た。午前9時から午後2時40分まで種々と聞かせて戴き、語り合った貴重な時間だった。藤本氏は私より8歳若く、過去の戦争は天皇陛下のご指示ではなく、日本国の権力者に依る戦争の拡大であったと考えの切り替えも早かったことに感銘した。この日から私は一年二ヶ月の短い戦場体験だったが、毒ガス使用の真実と、戦後60余年耐え過ごした自分の体の異状等を詳しく書き残そうと、今回も軍隊のことになった。


[手記]

Edited by じゅんか 2009-06-01 17:18:03
Last Modified 2009-06-02 22:12:20

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